2002年05月06日

サーバールームをつくろう

この記事は以前HTMLページで公開していたものをBlog記事化して編入したものです。管理省力化のためURLが変わりました。

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騒音と灼熱に苦闘した最終結論
〜サーバールームを建設せよ〜


2001年早春。
「宇宙人探しの処理速度を向上、2ヶ月以内に1000ワークユニットまで到達するのだ!!」2年がかり4600総時間をかけてやっと150ワークユニットを少々越えたところで、私は遂にしびれを切らした。そしてそれは途方もない課題であった。
(宇宙人探しすなわちSETI@Homeについては今更語るまでもない。外宇宙より飛来する膨大な宇宙電波線を精密に解析し、別の文明からのメッセージを見つけようという、米カリフォルニア大学が主体の壮大なるプロジェクトの事である。そしてそれは又、どエラく処理能力を必要としてくるのである。)

ワタシは99年の春から、サーバーなる概念のコンピュータを立てている。(ちなみに98年の夏頃からノウハウを蓄積した)当初最大の目的は、インターネット常時接続のケーブルモデムネットワーク網へと、家のローカルネットワークを接続させかつファイアウォールをも担う、プロキシサーバーであった。秋葉原皇国のジャンク屋より輸入した最新鋭の中古、Pentium-90MHzを備えるCOMPAQ PRESARIO-7100でスタートした初のサーバーシステムはその後、データバックアップストリーマの役割需要によりファイルサーバーの能力を必要とされ、そこに固定ディスクドライブ2基を備えPentium133MHzで稼働する初代”参号機君”が誕生する。
丁度時を同じくして、友人観ちゃんよりSETIの存在を教えられ、そのあまりの偉大なる発想に魅了され即断即決で参加をする。プログラムバージョンは未だ1.03。266MHzのPentiumIIをデュアルにしていた懐かしき愛機で始める。1つのノルマを完了させるまでに要する時間は実に22時間。(最も当時はまだ、SETIプログラムの効率的な走らせ方を知らなかったからでもあり、今ならば12時間程度で済ませられたかもしれない後悔がある。)とにかく、約1日かかってやっと1つのワークユニットと呼ばれるノルマをアップロードするのである。その速度にいきなりプッツンしてしまった私は早速、戦力増強増援を目論む。スポットライトはサーバーコンピューターに当てられたのだった。

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AMD K6を搭載した”参号機君−改”

能力を向上させねばならないのは必至課題。そこに、かつて”System-5″としていた機体のシステム周り一式を買い戻す。それは、AMD K6-166MHzの超安定最終ロッドを空冷のまま234MHzまでオーバーブーストさせ、更にはセカンドキャッシュメモリーのタグSRAMまで増設した根性のi430HXシステムであった。かくて私の対宇宙人システムは、通常平均22時間処理に、3日に一度ボーナスアップロードが行われる形となった。
しかしその代償として、回り続けるディスクの騒音が常にあった。

時は流れて。

2000年の初夏頃になると、プロキシサーバーを動かす為の基幹ソフトウェアの反応速度の遅さと信頼性の低さ、そして騒音に耐えかねて、遂にブロードバンドルーターという物に手を出してしまう。そこで一端、サーバーコンピュータの概念に別れを告げたのであった。
だが、高速な外部ストレージ、すなわちファイルサーバーという概念の便利さは非常に忘れ難く・・・、その年の冬には、積極的ストレージ専門のサーバー建造と相まったのであった。私的には第3世代となる、超高性能装置の誕生である。

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固定ディスクの静穏化対策とAMD ATHLON 500MHz

固定ディスクドライブはATA100-IDEインターフェイスの30GBytesを選び、CPUは幸運にもAMDの初代ATHLONとマザーボードが併せて8900円くらいで新品が入手出来てしまった。そして、以前と変わらず私の部屋内での運用が行われるため・・、今度は徹底した静粛性確保の対策を行う。この頃には自前の静音化技術が、数多くの実験によって発達してきたもので、積極的な消音処置を行っている。高周波の著しかったディスクはsmart driveに。そして冷却ファンはCPU冷却のみ。他は全て取り除く。また、CPUのファンも5V駆動により徹底的に回転数を低下させ、ほぼ無音。その代わり小春陽気の晴天には、許容ギリギリの発熱となっていた。

それから暫くして、友人YRM氏より廃品コンピュータを譲り受けてしまう事があった。
CPUはAMDのK5、100MHz。ボードは使い慣れたGIGABYTEのGA-586HX。懐かしい。SETI@Homeの戦力が少しでも欲しい私は、早速動かせる状態にレストアし、動かしてみる。動く。・・・だがしかし、最大の問題があった。それは置き場所である。故に・・・

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ひとまず外に出して置いた。

で、これが結構イケちゃうのであります。この時はまだ春も2速ギヤ、まだまだ寒く、その大自然の冷たい風は、人類の微塵な力でやっとこさこしらえた電子機器なんぞを、「発熱なんぞさせるか!ごるあ!」と云わんばかりにジツに快適に冷たく冷たく冷却してくれる。
味をしめてしまった私は、先に建造したストレージサーバー君も一緒に外に出してしばらく様子を見てみることにしたのである。

この間一度、夕方の春雨に撃たれ、ドキドキの体験をしたりしたものの、教訓からビニールシートをしっかりとかぶせれば十分に問題なし。4月に入って直ぐに、桜満開後の雪が降ったときなども、風雪に健気に耐えるビジュアルを見せつつも、その快適な冷却風の中でオーバークロックセッティングを気持ちよさそうに全開で走らせていた。




以上の実験をもとに我が建設省は、サーバーコンピュータの積極的室外設置のプランを推進。脳内予算案会議では多数の反対派を鷹派が押し切るかたちで、いよいよ本格的サーバールームの建設が可決されたのであった。





そして。

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左から1985年三洋製セントラルヒーティング冷房用ヒートポンプ、1996年三洋&東京ガス製セントラルヒーティング暖房用循環ボイラー、そして今回2001年に設けられた物置サーバールームである。

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物置改め、自称サーバールームの概観と内部。

友人YRM氏曰く、「扇風機が・・・、ちょっとダメね。」
ちくしょう、空間の有効利用だい!

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第1根性演算サーバー兼ファイルサーバー(左)。
当初はK5-100MHz、しかし数日後pentium!!!650MHz改め864MHzへとOC。
第2根性演算(サーバー)・宇宙人探し専用(右)。
Athlon 500MHzをファン全開冷却、550MHz。”参号機君−再び”

以下は一寸こだわりの換気扇。
穴開け作業は困難を極めました。

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排気ダクト接合部のシーリングはしっかり。(左)
山洋電機12cmブロワー0.55A/12Vと馬力があってまるでサイレン。5V駆動に。
偏向ダクテッドで効率向上による消音効果大。(右)

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そして、コンソール。
ちなみにCRTは白黒ブラウン管です。
このサイズ、探しました。

以上が第一段階というところ。

そこから時は流れて灼熱の8月を前に・・・

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新たなるサーバーコンピュータが追加された。
このシカバネみたいのは何かって?・・ええ、そうです。ゴミから作ったサーバーです。はい、紛れもなく。いえ、エンベデッドPCみたいな崇高な機械じゃありませんよ。純然たるゴミの寄せ集めから誕生したエコロジーリサイクルのコンピュータです。これでも一応、NT4.0 server sp6が走ってたのです。以前もらったGA-586HXをベースにして当初はK5、後にこれまたどこからか拾ってきたP55C-MMXpentium-200MHzに換装しておりました。

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当初の目標1000WU到達。これがいつ頃達成されたかはもはや忘れてしまったが、この頃には既に2000WUに到達していた気がする。
更にはせっかくこの様な、実に現実的サーバーシステムが揃ったのだから・・、と、各機にそれなりの仕事を与え、いろいろなサーバーとして運用していたのも覚えている。特にAthlonの彼はグローバルIPを附ってもらい、完璧なるWWWサーバーとして動いていたのが印象深い。でも後にクラックされてしまうのだけれど・・、何れにせよ非常に貴重な経験が出来た思い出がある。また、例のホネみたいなサーバー君は、PhotoshopやAutoCADのデータの手動退避場所として活躍。特にプリンターが一台しか無いのでそのデータ交換に非常に役立っていた。
さて盛夏の炎天下。いくら強力な換気扇が完備され、それぞれの冷却系も全力運転にしているとは云え、この物置・・もといサーバールームの中はゆうに40度を超え、50度近くあったハズである。いやそれ以上だったかもしれない。だがしかし、彼らがネを上げることは一度たりとも無かった。これには本当に凄いと思った。というか、なんて健気な機械なんだ!!!

加速していった胸キュンさておき、この頃がワタシのサーバーシステム最盛期だった事を記そう。盛大に電気を喰ったが、その代償に見合う貴重な経験が出来たことに深く感謝している。



夏が過ぎて秋が1速ギアでやってきた頃・・・
Athlonの”参号機君−改”がクラッキングされトロイの木馬までしかけられ、ディスクごとあぼんされる事件が起こった。おまけに相当古いディスクを、バッドセクタそれぞれにマーキングしながら騙し騙し使っていたものだから、フォーマットかけても再生すらしてくれなくなってしまったのだ。もはや再構築する気力が沸いてこない状態だった。これだからグローバルに公開するサーバーってのはアウトソージングの方が良いのだ。精神的にも。
そうこうしているうちに・・・、例のホネみたいなサーバー君がネットワークの不調を訴え出す。してその整備の最中、まったくもってワタシのヒューマンミスで、貴重なリブレット用ハードディスクをお釈迦にしてしまった。これによって一気に2つのコンピュータを失ったわけである。このうち例のAthlon君は極短い間だけ、復活を遂げた気がするのだがもはや記憶にない。いずれにせよ最盛期の花形コンビに戻ることはなかったのだ。日本の秋が持ってくる哀愁は、本当に手厳しいものである。
気力も沸かず暇もなく放置されていた機体も、2週間ほどが過ぎると・・・
秋葉原へとドナドナ。今生の別れ。まだまだ価値あるモノを何もさせずほったらかしにさせてしまう事ほど可哀想な事は無い。と、サーバールームの内部は整理され、そしてガラリと様相を変えた。

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一応参考までに。左はAthlonを冷やし続けたヒートシンク。東京というのは非常に空気が汚いもので、屋外というのは屋内よりも圧倒的に埃が貯まる。窒素酸化物みたいな物質がガンガン堆積し、さらにCPUの発熱でセラミックの如く焼き付く!!これがまた取れにくい。
右は時代遅れながらもかんばったMMX Pentium 200MHz。このCPU、やはり今でも憧れるなぁ。なぜならこれ、当時は非常に高価で、お金のない人はAMDのK6を選んだのでした。(・・こんな感傷にひたる時代になったのですね。)どちらにもウリがあったけれど、今回初めて使って、当時のK6には無いインテル独特の高性能を堪能できて非常に満足でした。
Athlon、P55Cそれぞれ、買値より売値の方が高い値が付いた、という事も実に思い出深いお話です。


残暑も嘘のように消え、いよいよ冬の風が漂い出した秋終盤。クラック事件以来無くしていた気力が戻ってくる。
それは、今度は無駄を無くし、より実用的に、より本格的なサーバーを1台にまとめてみたい。そんな感だった。たしかその頃、IBMがそんなサーバーの宣伝をやっていた気もするから、その影響があったのかもしれない。とにかく、相変わらずファイルサーバーとして頑張っていた第1根性演算サーバー改め”Alonakks”のリフレッシュを行う。
丁度時を同じくして、家の中のコンピュータの色々が、電力バランスの急変動によって連続的に異常停止、そのうち、重要な1台がお亡くなりになるという惨事が発生し・・、さておき、そこから流出した数多の部品に恵まれていた。特にceleron-566MHzがそれである。

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これまでのpentium!!!-650MHzは定格で17Wの消費電力だった。対してceleron-566MHzは11.9Wの消費電力である。オーバークロック時にどの程度増加しているのかは精密に計測することは叶わないが、キャッシュメモリが半減している分いずれにせよ、確実に電力効率改善になるハズだ。と、期待して、CPUをceleronに換装して、オーバークロック。もっとも当時、pentium!!!の買い取り金額がとっても素敵なお値段だった、という事も判断材料にあった事は隠せない。
上の写真3枚は、晩秋でも昼には結構な灼熱を保っていたサーバールームの中にて、連続常用オーバークロックを行うために意識した処置である。CPUヒートシンクは千石電商で買った、2重エアフローフィンが特徴のもので、小型ながら高い能力を発揮する。なによりデータが付いていたので、(もちろん自分でも有る程度実験調査してるが特にウソは書いてないもんだ)安心して設置する事が出来る。更には、OC707MHzを行うに伴いベースクロックが83MHzまで上昇するに伴って、PCIバスの周波数が41MHz程までに上がるわけで、PCIに載るインテルのNICが異常な発熱をするように。これの対策として、流行りの高性能グラフィックカードさながらのヒートシンクを、LANカードに搭載することとあいまった。
なのだけれど、PCIバスがOCしているという事にはさすがに精神衛生上耐えられなくなってしまい、OC celeronは2週間で引退。再びpentium!!!に戻り・・、相変わらず650MHzを864MHzまでひっぱって安定に駆動させていたのでした。

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ちなみに当初はMMXpentiumにしようか迷うも、
玄人志■のATA100ボードがウントモスントモ言わなかった為、
断念してsocket370システムに落ち着かせた等、裏がある。

そうこうして誕生したのが・・・
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新サーバーコンピュータ、その名も「System-707」である。
命名はもはや、男の子の飛行機趣味なのでご了承ねがいます。(CPUが707MHzのOC celeronから864MHzのOC pentium!!!に戻っても、そのままの名前でした。)
しかし、ちょっとした工夫次第で、7年も昔のAT筐体がそれなりのサーバーマシン的風格を漂わせ始めるからスバラシイ。それに当時の筐体とは案外コンパクトなもので、今の自作パソコンの箱みたいに無駄にデカくない。結構掃除しているものの汚れは目立つが、屋外稼働を思って完全に割り切ってしまえば、本当に素晴らしい機体に見えてくるから不思議なのである。さて、

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これもまた、趣味な面が否めないのだけれど・・、恥ずかしながらRAIDを組んでいるわけではまったく無い。ただし、1台のディスク容量が100GBytesを越えるようになって、LANもギガイーサとなれば、RAID-5をやってみたいな〜・・との意識も多少あるゆえの、こんなストレージ配置に。あと、冷却効果の促進を狙ってみた、というのも有るには有るナ。

と、

そんなお気楽冷却処置が今度は、真冬に仇と出た!!!
ある非常に寒い日の朝、データドライブの反応が鈍っていた。断片化が激しくなったかな〜、などと気楽に考えてそのまま出かけてしまい夜帰宅。すると全くデータドライブの反応が帰ってこない。冷や汗を流しながらおそるおそる調べに行けば・・・、寒さでモーターが止まっていた。これは省電力のためにディスクのモーターをタイマーで停止させるようにしておいた時で、その停止していたスピンモーターはオーバークールによってトコトン冷やされていたワケだ。そしてアクセス時のスピンアップが異常に遅くなってしまい、ディスクコントローラがエラーを出して、Windows2000がデータドライブへのアクセスを安全停止させていたのだった。
この対処としてこの後、ディスクは完全に連続運転に徹することとした。またひとつ、ノウハウ蓄積である。
というか、使っているディスクは2台ともseagate。時々良く壊れる、という評判が聞こえるのだけれど、私的に昔から好きなメーカーで、現在も他にUltra160SCSIのディスクを1台使って、こちらもまたいろんなノウハウを知ってしまってるのですが・・、そんな視点から大体確信出来てきたのは、seagateのディスクは、とにかく連続運転させてやることによって、物凄く信頼性が向上していく反面、エナジースタータイマーによって回転を規制してしまうと、途端に信頼性が激減していく、そんな感じです。
やはり構造上、昔と何も変わっていないのですね(というか昔より酷くなってる感じがするけれど・・)。大人しく、ディスクは常時回転にするセオリーに徹する事に。




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建設から1カ年を隔て2年目になるサーバールームは現在、こんな感じに落ち着いている。当初爆走していた宇宙人探しも現在はマイペースにする方針へと傾き、本当に閑散としている。コンピュータもSystem-707から「System-933」へと更新され、各部デバイスの更新、電源部の分解掃除他もろもろによって、前System-707(pentium!!!)比較で53%もの電力削減を実現しているローエミッションシステムである。

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現在はルーターを廃止したため、このサーバーには再びかつてのようにプロキシサーバーの機能を持たせてあり、更にはフルタイムでVPN着信の待ち受け機能も動いている。
シンプルかつ高機能、これを円滑に行うための空間をスムーズに提供してくれるのもまた、サーバールームの良いところであった。

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流血事故が起こったので防護網が取り付けられました。(左)
サーバールームを支える架線と年季入ってきたエアダクト。(右)

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屋内屋外を結合するコンセントと屋外配線の総合出入り口

おすすめしますよ、サーバールーム(^^
ただしメンテナンスを怠ってはいけません。(笑)

おしまい








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でもネ、時代はこんなサーバーが出てきたり。
写真は友人Shiba氏のPlatHome OpenBlock(S)




以上のHTMLページをBlogアーカイブ化した2014年5月現在においては、しかるべきサーバーサービスが大変発達し、それらは低価格でとても高性能なものとなりました。このアーカイブを司るコンテンツマネジメントシステムを格納するサーバーも、そのようなサービスの恩恵のもとにあり、その契約容量は、以上に書いてきたコンピュータたちが持つ記憶容量よりも遥かに多いのです。

文明技術の進歩とは凄いものですネ。
posted by mao9821 at 00:00| Comment(0) | 読み物
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