
NHK製作『ヒロシマに一番電車が走った』の、マッドハウスが制作した短編から。原爆投下わずか3日後に復旧する広島市電の実話。思想的物言いが見え隠れする数多ヒロシマのお話がある中で、純粋に希望を描いた希有な良作。キャラデザにキュン、音楽にキュン、方言にキュンキュン、大好き。
ところで調べてみると、この、戦中の学徒動員で作られた廣島電鉄家政女學校(女学生に運転手・車掌をさせる目的の家政学校)というのは、わずか2年少しで廃校、結局卒業生を出さなかったと知って。。
・゚・(ノД`)・゚
襟を大きめに描いたのは、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」という詩がとってもひっかかっていて、ちょっとだけおしゃれをさせたかったのです。
2008/7/29
2009/8/5加筆

真岡郵便電信局の悲劇を描いた作品、日本テレビ製作『霧の火』から。
欧米よりも20年くらい遅れた電話交換機を駆使する戦時の乙女たちの丁寧な描写が、とても印象深い作品でした。
2008/10/14