2015年06月12日

なんとなくゲーテ

mixiの非公開日記を遡っていたら、4年ほど前に書いた小論が出てきた。友人が読んだ処、公開しておけとのことなので、せっかくなので読み物としてココに。ゲーテ『ファウスト』の読書感想文的な何か、と。
 
 

ファウスト伝説とは。

 まずファウストが実在の人物であることから始めなくてはいけない。実在したファウストの記録で最古の物は、1507年、当時の歴史家ヨハネス・トリテミウスが、占星学者ヨハン・ヴィルドゥングに宛てた手紙がそれであり、ファウストの人物像を詳しく述べている。そんなトリテミウス云うところのファウストは、様々な修学を語り放浪するいかさま師であるが、しかし占星術師としてしかと名声を得ていた記録もある(1)。この構図は一種の学術上の衝突を示すものともいえ、似而非学者、オカルト学を魔術や妖術にすり替え、正統学問的オカルト哲学を貶める者、というレッテルでファウストが同時代の学者から評価されていた可能性が指摘される(2)。ともあれ、多くの学問を修めた風変わりな人物というあたりは、やがて、その学識故に「されど自分は自由になれない」という、伝説を始めるに当たっての設定へと昇華し、悪魔との契約による自由度の高い冒険(世界旅行)と奇行の物語となる。そして実在のファウストが、一説に錬金術の実験中に爆死したのではないか(3)、と記録された壮絶な最期は、悪魔との契約が履行されるクライマックスとして描かれていく。かくて伝説は形作られ、時の民衆本として流行したのであった。


 かような作品「ファウスト」を述べるに当たってあらかじめ意識しなくてはならないのは、15世紀前後のドイツの歴史である。先ずは、14世紀頃からの中世的封建主義の崩壊と、市民階級の台頭である。十字軍の遠征によって発達した交通は商業を発展させ、経済発達はそれに従事する市民という新興階級に存在感を与えた。これが後に文化の担い手になるわけだが、ここで同時に、15世紀中頃のドイツ、グーテンベルクの手により勃興した活版印刷術を意識したい。それまでは主に教会などによる文章の記録保存が、量産と流通の解放を得たことである。この近現代的印刷技術の確立は、そもそもが人類文明全体にとっても極めて重要なこととなるわけだが、ここで時を少し戻して、ドイツ文学史的見地に帰らねばならない。マルティン・ルターの聖書翻訳である。
 先に述べたように中世的封建主義が崩壊し、新興階級が台頭したことにより、都市が自治権を持つようになった。そして、神聖ローマ帝国内は無数の政治的分割状態に陥ったのである。このことは言語が複雑化する素地ともなり、現代において尚、ドイツ語の方言は日本語よりも強いと云われるほど(4)。ルターの聖書翻訳において重要なのは、その雑多なドイツの書き言葉が、ルターの聖書翻訳によって統一を見たことである。もともと中世を通じてドイツの修道院などに蓄積されていった記述文字は、主にラテン語であった。だがルターが、ギリシャ原典(新約)、ヘブライ原典(旧約)それぞれを翻訳するのに選んだ文字は、市井で老若男女が使っている広く普及した口語、すなわちドイツ語であった(5)。この書き言葉の統一、そして時同じくして確立された印刷技術による流通をもって、ドイツ文化はここに強固な土台を得たのである。
 そのような土壌の中で勃興したのが、大衆が読めるやさしい言葉で記し粗雑な紙に印刷した民衆本であり、その中で人気を得た作品の一つが、民衆本『ファウスト』であった。
そしてそれは後に、大成したヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの筆致による『ファウスト』劇として、最も知られることとなる。しかし、印刷術が起こり民衆本が流行した時代と、ゲーテの誕生とは1世紀の距離がある。その間の17世紀ドイツでは、30年戦争が起こった。宗教対立に端を発したその内戦の惨禍は、ドイツ語圏人口を1/3にする程の荒廃によって、ドイツの文化は周辺諸国の後塵を拝するところに至らしめた。尤も、この時代においてもバロック文化・文学の発生や、後のゲーテに多大な影響を与える哲学・数学者、ゴットフリート・ライプニッツほかバールーフ・デ・スピノザの業績が光るのだが割愛する。
 さて、この戦禍からの復興において訪れたのが、18世紀、啓蒙時代であった。立ち後れた文化的精神が、教養(Bilding)的にアイデンティティの形成を目指す時代である。そして単なる教養や自己形成主義を超越し、文学的アイデンティティの追求を強固としていくシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)時代が1770年代に始まった。

ここで本稿はゲーテを迎えることになる。1749年生まれの青年ゲーテは1774年、『若きウェルテルの悩み』を創作し瞬く間にヨーロッパ中で評価を得た。恋に死ぬ主人公に共感した自殺者や、放浪作家の破滅者を出すほどの社会現象を産んだその趣向は、まさに感情こそが主題である。あるいはフリードリヒ・シラーによる情熱表現、『群盗』が一例とも云えよう。これがシュトゥルム・ウント・ドラングの特徴と云える。これはそもそも、内戦で立ち後れたドイツ文化が、文化的にも圧倒する隣国フランスの理性や概念という整然としたロココ調の主題に対し、反発を示して挑戦してゆく強い意志だったのである。その立役者の一人はヨハン・ゴッドフリート・ヘルダーであり、彼は若きゲーテを覚醒させた。余談だが、奇しくも同時期の我が国においても近似した現象が起きている。漢文記録の伝統に異議を唱えて日本語のアイデンティティを追求し始めた本居宣長の「やまとごころ」がそれであり、この外国文化への反発と自立意志の所在は、シュトゥルム・ウント・ドラングの理解を助けるところとなる。
 そんなシュトゥルム・ウント・ドラング期、20代のゲーテが取り組んでいたのが、未発表「ウアファウスト(原ファウスト)」であった。そこには既に、後の1808年、59歳のゲーテが発表した『ファウスト第一部』における内容がおよそ存在していた。だが、この若き感情が積極的に好まれた時代における筆致はいささか過激である。例えば、場面「グレートヒェンのちいさな部屋」で、糸車のリズムにのせてグレートヒェンの悲痛な心情が紡がれていく詩に、

 この胸でせまる
 あの人を求める
 この手に
 つかまえ

という箇所がある。この「胸」は「ウアファウスト」においては胸よりも下部を示す語「ショス(Schoß)」であり、「この胸でせまる」は「この股でせまる」という趣であって(6)、感情精神がより動物的である。そもそも物語の主題は町娘を巡る恋愛悲劇に軸があり(7)、劇作というより口語的で散文作品であった(8)。また、ファウストが数多の学問の修了について嘲笑を込めるように驕奢を演じ、あるいはメフィストフェレスと学生の対話「論理学のつぎは形而上学をやるといいだろう云々」の教訓的問答の場面は、ゲーテ青年期にして書き得た箇所であると、翻訳者池内は指摘している(9)など、いずれもシュトゥルム・ウント・ドラング期の若きゲーテの筆遣いを偲ばせる。
 しかし注意しなくてはいけないのは、『若きウェルテルの悩み』による狂気的社会現象に対しゲーテは失望していたことで、そこから始まる創作発表の一時的引退と、ヴァイマルでの政治的遍歴、その果てのイタリア紀行では古典芸術の強い影響を受けるに至ったことだ。そしてゲーテは、神話を元にした近代劇『タウリス島のイフィフェーニェ』などに見る古典主義(Klassik)を取るようになった。また、当時の今で云う社会学者W・ディルタイが「教養小説の典型である」と評価(10)した『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を完成させたのが1796年。翌年にはドイツ庶民層に広く支持された叙事詩『ヘルマンとドロテーア』において、市民的節度を描写している。つまりゲーテは、シュトゥルム・ウント・ドラングから離脱したのである。そして時同じく、「ウアファウスト」の改訂と創作は続けられ、イタリアから帰国の2年後1790年に初めて、『ファウスト断章』としてゲーテによる「ファウスト」物語が世に出ることとなる。この『ファウスト断章』においては、先の恋愛悲劇からいよいよ「ファウスト」の要素が現れる。この事については森林太郎(森鴎外)が『ファウスト考』にて比較しているように、「ウアファウスト」には無い場面、ファウストが悪魔と契約して若返るための場「魔女の厨」の挿入などが特徴となってくる(11)。
なおゲーテはイタリア紀行の時期、自然研究を本格的に開始している。このことはゲーテの多彩な業績の一つ、色彩論や形態学に繋がるわけだが、本稿においては、『ファウスト』におけるファウスト博士が修めた数々の知の、迫力的(あるいは嘲笑的演出)描写、それを裏打ちしている著者ゲーテの博識を垣間見ることと考えたい。いや、それに留まらない。この時期の植物観察を土台としているゲーテの研究対象のひとつ、植物学の会話を切っ掛けとして、ゲーテはシラーと深い交友を持ったことこそを明記しなくてはならない。このシラーこそが、ゲーテに『ファウスト』執筆を促し、完成せしめたと云って過言でないことは、ゲーテ本人が語っているほどなのだ。残念ながらシラーは1805年に世を去るが、ゲーテは1808年ついに『ファウスト第一部』を刊行した。ゲーテ、58歳の時である。その当時としては晩年とも云えるが、湯治を繰り返す老体にしてなお、ゲーテの創作、あるいは学術的活動は衰えを知らなかった。ここに、『ファウスト第一部』を完成させるのみならず、『色彩論』では自身の研究成果をまとめたのである。
 こうしたゲーテの広い自然探求への意識はやがて『ウィルヘルムマイスターの遍歴時代』の多層的かつ断片的(12)なスタイルに昇華することとなり、かくてそれはやがて『ファウスト第二部』へと結実することとなる。ゲーテが世を去る前年に完成したこの『第二部』においては、心情あれば政治があり、植物の描写が演出に使われては金融信用論が説かれ、魔術が出てきては天文学者が語り、幾度となく女性が語られ、そしてそれらは紛れもなくゲーテ筆致の音韻で演出されている。つまりゲーテが生涯において考えた事柄が、様々な人々の様々な台詞に染みこんでいるのである。今回最も参考にしているゲーテ『ファウスト第一部』『同、第二部』訳者池内紀の言葉を借りればまさに、「疾風怒濤などといわれた果敢な青年期と、人生のいとなみに習熟した中年期と、老いの坂に立ち至った者の知恵とが、一つの作品にそっくりそのまま同居している」(13)のであり、つまるところ作品『ファウスト』はゲーテそのものなのだと考えて、本稿を結ぶ。

以上

後注
(1)松浦289〜294頁参照
(2)松浦294〜301頁参考
(3)松浦311頁参照
(4)粂川授業ノート参照
(5)ドイツ文学案内、42〜43頁参照
(6)池内317頁参照
(7)池内321頁参照
(8)粂川授業ノート参照
(9)池内315頁参照
(10)粂川授業ノート参照
(11)池内312〜313頁及び322参照
(12)粂川授業ノート参照
(13)池内314頁参照
文献表
1.ゲーテ著、池内 紀訳『ファウスト第一部』集英社文庫、2009年。
2.ゲーテ著、池内 紀訳『ファウスト第二部』集英社文庫、2009年。
3.慶應義塾大学文学部粂川麻理生教授2011年夏スクーリング
『ドイツ文学史』授業ノート。
4.手塚富雄・神品芳夫著『増補 ドイツ文学案内』岩波文庫別冊、1996年。
5.松浦 純訳『ドイツ民衆本の世界V ファウスト博士 付 人形芝居ファウスト』
図書刊行会、1988年。
6.亀井高孝、三上次男、林健太郎、堀米庸三、編『世界史年表・地図』
吉川弘文館、1999年。
7.ハンスヨルク・マウス著、金森誠也訳『悪魔の友 ファウスト博士の真実』
中央公論社、1987年。
8.森鴎外全集U『ファウスト』ちくま文庫、2005年。

posted by mao9821 at 00:00| Comment(0) | 読み物
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