今回記述するお話は、地震予測への挑戦。
あの震災直後から何度も公開することを悩み、そして5年の経過とともに自分の中でまとまりがついたため開示しました。特別に誰かを感化したいといった他意はありません。もしなにかを感じられましても、お考えになられたことに対し私は責任を持つことはできません。また、金融商品の勧誘等を目的としたものではありません。
ただこれは、ノンフィクションです。
さて。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1687743556&owner_id=1770215
当時日記でこのように記録している私は、311震災については事前から強く警戒し続けていた。記述にあるように、最初にして最大の警戒を発しているのが2011年1月11日である。
そして…
>2/25 午前、JR東株に大型の手じまい売り、午後、JR西株に誤発注の売り。ただし、ガチで売りさばいた可能性有り。
この時の記憶は本当に鮮明である。
何故ならば、この時、自分で開発していた投機理論にしたがって保持していたのがJR東の株式だったからだ。それがゆえに、この株の動きには最も注意を払っていた。
(投資の本質は所有、投機の本質は転売、という定義を前提として書く。投機を盲目的ギャンブルと同義にする意見には迎合しない。不確実に対する戦略的ギャンブルを含めたすべての商売の戦術面は投機である、とのスタンスで述べる。)
先ず私は震災について最も最初に注意をはらいだしたのは、2010年の大納会だった。この日の値動き、興味がある人は洗ってみるといい。大納会はその特性上、売り一色で引ける事が多い。年越し玉を嫌うプロが多いからだ。古典的逆張り方はここで一度全てマルにするのが常道と聞く。が、この時の売りは、そういう売り圧力以上のものがあった。丁度私はその頃、80年代バブルの研究に没頭していたのもあって、2010年の大納会の動きが、1989年大納会の動きとよく似ているものであることを直感で意識していた。2010年の東証大納会、私は参加している。はやぶさの川口教授がいらっしゃった時だ。たぶんTVにも映ってると思われる。その大納会会場から沖縄の友人と携帯電話でしゃべってる時に、東証マーケットセンターのティッカーに流れてくる後場の動きを見ながら「これひょっとして大暴落でも控えてるんじゃないかな」と言ったことも覚えている。
単に傍観していたわけじゃない。実際に、その時最も需要が高まっていた鉱業セクタに買いを入れていたがゆえの集中観察があった。私はその鉱業株の建玉を新年に向かって持ち越していた。のだけれど、大納会の動きに一抹の不安を抱え、新年早々に撤収することとなった。それは早合点に終わった(後から分かることだが、買い方には日本政府の名前があった。上がらぬわけがない。それらは震災後において絶妙な機会で現金化されていたと思われる。)のだが、居ても立ってもいられない不安はその後現実となった。
2011年1月11日の強烈な地震雲だった。(他、写真2枚と詳細を下に記載。)
その日以来私は、寝間着ではなく普段着で寝た。すぐ飛び出せるような準備も整えていた。
あの地震雲を相場はどう捉えてくるか。目を皿のようにして記録した。先物に出てくる大口の歩み値全てを記録した。なにせ、阪神大震災前日か近い日に出たものとして記録に残るものと同じ地震雲なのだ。保険会社が保有証券の現金化を急ぐはずだ。相場に携わる者たちが過去の事例に盲目なわけがない。
だが、市場のトレンドはギリギリで上向き、自分の場帳では大半が上昇トレンドを示していた。鉱業セクタでの早手じまいの失敗から、私はしぶしぶながらもその買いトレンドに乗ることとし、かつ、かねてから興味があった出遅れセクターの扱いについて研究してみることにした。私はトレンドに逆らって売るということはしない。2011年1月から2月、その時はまだ私がどんなに不安を感じていようと、日本の相場はおしなべて上昇トレンドだったのである。
そこで当時東証全体を俯瞰したとき、微動だにしないセクタが2つ、目に止まったことをよく覚えている。
銀行と、陸運のなかの鉄道であった。銀行はかねてからの問題児であり数年は手出し無用だと思っていたから気にしなかった。 けれど、鉄道がどうしても動き出さないのは本当に理解できなかった。そのため鉄道株がその後どのようになるのか、尋常ならざる興味を惹かれた。
私は自分の証券取引に際してテクニカルしか用いない。世間で言うオシレーターとかボリバンの類ではない。移動平均線すら信用しなかった。文章で書かれる情報なども一切相手にせず、株価しか見なかった。様々な考え方があるだろうが、価格変動に対する理屈は全て後付だというのが持論だ。他人の考え方を否定する気は全くない。ただ、私がその時至っていた視点は、需要と供給という不可抗力への集中であったというだけだ。
それを最も合理的に処理するのが、自分で作っていた場帳だった。この場帳は米国のある古典相場師が書き記したものを参考にしているが、その時すでに殆ど独自の書式に昇華していた。といってもコアの部分は日本市場で使えるように小改造したくらいで、さして変更していない。気概があればだれでも自由にその基礎原理を知ることが出来るだろう。米国の図書館ではパブリックドメインとなって無料でネット公開されているから。本質的には4本値を用いず、引値のみ扱っている。これは日本の相場師にも共通するところだが、米国ではそこからの洞察とデフォルメ化が実に合理的である。
それだけで相場のコンディションを上げか下げか、どういう保ち合いなのかを把握できる。私の書式では、それを東証33セクタに対し行うものだった。デジタルの21世紀に手書きと暗算ではあったけれど、東証33業種セクタ全ての循環とコンディションが手中にあった。
そして場帳は示していた。
ある金曜日の大引けで、陸運セクタ下の鉄道株は十分需要が揃ったことを。これまで鉄道は確かに動かなかった。されど基本的にはもう上げざるを得ない、と。供給側の株券の総量が薄くなっている全景が、逆説的数字として見えた。
その日私は引成でJR東(9020.T)を買っていた。(この翌日と翌々日の土日の間に震災がなかったことは特筆に値する。予定調和のような限界ギリギリのタイミングさえ、株価は織り込んでいったのである。これは後述の場帳に詳しい。また、なぜJR東(9020.T)を選んだかは、鉄道メジャーで最も出遅れていたためセクタへの需要水準から大きく乖離していた鞘を直接的に扱いうると考えたからである。これは理屈抜きでトレードの第一目的に対して忠実であった結論である。)
翌月曜日、JR東は寄り付きで窓を開けて高値で始まって、やはり鉄道株は上に走りだしていた。ただし、東証の市場全体で最も最後尾を走っていた。その出遅れコンディションは常に危ないということを当時の私は既に知っていた。だから片時も目を離さず危険な徴候に集中していた。
そして、2011年2月25日を迎える。
その変動は日中、ザラ場の中で前触れ無く起きた。何のニュースもなかった。
午前中、JR東株がかなり暴力的に急落したのである。しかも当時はアップティックルールがあったから空売りの仕掛けではなく、買い本玉の巨大な手仕舞いであることが即座に理解できた。 普通こういったメジャーな大型株はかなり大きな注文が通ったところでもさして価格は動かない。ところが暴力的に動いたのだ。これには2つの意味がある。1つに、出ている買い注文がとても薄くなっているつまり需要がないということ。ふたつめ、大量の株式を売りだした人には、なりふり構わず直ちに売却しなくてはいけない事情があるということ(事情には誤発注も含む)。
けれどその急落1本目は日足ベースの取引においてはまだ猶予の内であることも知っていた。そういう発想で前年、朝鮮半島での有事を経験していたからだ。肝心なのは、その急落がどのように値を戻せるのかによって、突発性の危険な徴候は正確に定義されること。無論、例外もある。その時は予め決めておいたストップ注文に引っかかるだけである。だが、大抵はもっと別の、その時集中して見ているものとは別にありうる本当の主軸のトレンド側に、その徴候があるものだ。(顕著な例が昨年初頭のスイスショックだった。フラン円ペアは当日どう考えても円高への売り相場だった。が、フランを売ってはいけないということを、マザーマーケットであるユーロフランペアが示していた。)
だからそのJR東株に現れた凄まじい売りに対し、私は含み益を減らした買い玉をそのままに静観していた。実はこの時、鉄道株を上へと牽引していたのは、JR東海株(9022.T)だったのである。
問題は後場だった。
JR西(9021.T)に突如サーキットブレーカーが発動する売りが出た。買い側の板が当時の単位時間規定の限界まで消化され、東証が取引を一時中断させていたのである。 (2010年の東証新システムArrowheadにおいて導入された仕組みで、ストップ安とは異なる。)
これは明らかに鉄道株になんらかの大問題が存在することを示していた。 普通こういうことをすると東証から電話がかかってきて怒られると聞くが、それでも売りだした人はなりふり構わず売ったのである。JR東西の買い板を消し飛ばすほどの大量の株式を!
その切羽詰まった売りを出した人にどのような事情があったのか。老獪な相場師特有の第六感か、はたまた運用会社が未公開の最新テクノロジーによって地震への確信を深めていたのか、取引参加者の総意や逆指値注文が重なりに重なった偶然なのか、本当のところは全くわからない。相場はいつだってそういうものだ。ただ、なりふり構わない異常な売りが出て需要が打ち負かされた事は、動かしようのない事実だった。必要なことはそれだけだ。
結果、かねてから鉄道株が、銀行セクタを除く東証全体の中で最も出遅れていたことについて、完全に合点がいった。板を動かすほどの大量の株をクレバーに保有できるJRの売買に長けた人が、少なからず何らかの事情から本腰を入れて買っていなかったどころか、なりふり構わず最速で売った可能性は極めて高いのだ。
されど相場というものは凄い。様々な思惑が集中し投機と価格変動は再び連続する。JR東も西も、しばらくして買い注文が集まり価格が安定を始め、元値へ戻る。上昇トレンドにいるからである。だが…
私は決意した。
保有する建玉全てを手仕舞うことを。これ以上東証において買建てを持つのは危険だ。
そう思った瞬間から手仕舞うまで1秒かからなかった。
年初から2ヶ月に及んだ居ても立ってもいられない私の不安はその時、のちに逆説で証明されることとなる確信として成立したのである。
世の中には私と同じような視点に立っていた人がおそらく、少なからず居たのではないか、いや、いたのだろう、と思う。この鉄道株の動きそのものが全てを雄弁に物語っている。私と全く同じ事をしていた人もいただろう。そんななんらかの断片がネットには出てきてはいないか?
そう思って調べてみる。けれど…
震災前 JR東 JR西 株
少々検索しても特に私が見たい情報はひっかからなかった。検索単語を変えても、JR西のサーキットブレーカーによる売買中断すらヒットしなくなっているようだ。当日は証券系ニュースでそれなりに触れられていたようだが。
深追いして見たい情報が仮に見つかったとしても、だからどうした、という程度のことだが、寂しくもある。物事の本当のところはそうそう明るみには出ない。物事の先端とは結局そういうことなのかもしれない。
されど現実は目の前で起きている。
伝聞として文字として、情報化され加工されていく段階では、遅い。
地震予知の技術はおそらく、この世にすでに存在する。
それは、何時何分何秒に起こる、と断定するものではない。それは数学的に不可能だそうだ。
だが、一定の閾値を越え、数学的にここからここの範囲において発生する可能性がとても高い、と予測するものであるだろう。その視点はかくも現実ににじみ出ている。漠然とした予想などではない。私自身がとった行動そのものが地震予測そのものなのだ。また、2010年大納会の時点で、そこに参加している多くの投機家たちが、未知の体内メカニズムから潜在的に感じていたものが巡り巡って相場に現れていた可能性、それそのものが地震予測に繋がるとさえ言えたのである。
だがそれを捉え、判断し、行動をとるのは結局、自分自身という個人に課せられる。
私は重度に警戒すべき地震雲の観測要所や、それにまつわって相場で感じた事の多くは当時やっていたtwitterでも書いていた。相場での駆け引きは本来秘密にするべきことだ。何故ならば徹頭徹尾自分自身の問題だからだ。開示したところでなんの意味もない事は下記の通りの現実である。しかし大地震の可能性と確信について秘密にすることは人道的に憚られた。目の前に出てくるデータに突き動かされた。けれど、リツイートされていくことはなかった。
現実を示す第一次情報をどう捉えるのかは、結局個人の意志に拠る。
以下は参考時系列
9020.T 東日本旅客鉄道(JR東)

9021.T 西日本旅客鉄道(JR西)

2011年1月11日の地震雲


全て私の撮影。残念ながらPHSのしょぼいカメラしかなかった。ただし記憶にはかなり鮮明なので、イラストに描こうと思えば描けると思う。撮影地は東京都荒川区日暮里駅周辺。日暮里から池袋方向、新宿方向には特に、風の影響からも独立して定位置に地震雲が頻出する。そのため絶好の定点観測になるのだが、この時は視界全天全周囲という私的観測史上最大規模かつ、最高の明瞭さをもった走査描写だった。走査と表現するのは、4種類に分類可能な地震雲のうち、このシマシマ型は特に、円周率を係数に持つ極めて規則正しいピッチを見るからである。シマシマ型のほかにスジ型雲という分類下においても、細部を精査すると、同様の規則ピッチによって全体像が構成されていることが見いだされる。そしてそのピッチ輪郭の明瞭さ、いわば解像度によって想定マグニチュードが高い精度に定義可能であること、また、シマスジ走査方向から直下地殻にかかる力学的ベクトルを見いだせる可能性を、経験則の範囲で見出している。
またこの定点観測では、成田空港から上がってくる民間航空機が取る最低高度と、この地震雲出現高度とが必ず被るという条件も追記する。なぜそれが分かったかというと、飛行機雲が地震雲成立条件の影響を受けて、地震雲同様のシマシマとなっていく瞬間をハッキリ見たからである。つまり、地震雲は必ず定位置に出現する。その特性に対応する観察スタンスが必須である。
気象の学術権威がどのように強く否定してかかろうと私には知ったことではない。子供の頃から自分で気長に研究してみたものが意味のある体系を持ち始めていたのだから、私にとっては、頭ごなしに迷信扱いされる言葉なんぞより遥かに有意義なものだ。実際、上に書いてきたようにこの時ほど意味を持ったことはなかった。敢えていうが、古来から言われてきた宏観現象は、茶化されそうな些細なことにいたるまで絶対に全て研究対象とすべきことと確信申し上げる。それらは全て、いまだ未知多き我々の体のカラクリが、自然から読み取った第一級情報である可能性が極めて高いからだ。権威やプライド、体裁や執着などどうでもよい。否定してかかる暇があったら、丁寧に観察し全て記録を取るべきだ。
震災前日の2011年3月10日から、東証のメジャー株式の全てが下降トレンドの中に入っていることを場帳は示している。言えることは、空売りが出来なかったとしても、順行の買い相場では絶対に無く、世間では何らかのトラブルが控えている。そしてそれは直ぐに発生した。
興味がない人にどんなに話しても信じてはもらえないが、相場の投機的価格変動はニュースに先んじることがとても多い。そのあたりを体系的に精査していくと、前日とかそういう次元ではなく数ヶ月から年単位で、世間に起きるトラブルの兆候を演出するものがあることに気づき至るだろう。相場の普遍的側面への理解を努力していくと、自分の決断よりずっと後にニュースがやってくる感覚となる。だがそれは決して妄想や予想ではなく、精度の高い逆説的予測として昇華する。これまで述べた震災にまつわる実地例は、その強烈な一例と言って良い。
なお米国で独自型場帳の考え方を提示している名投機家は大きく2人あげられる。そのどちらも秀逸であり、世間で起きたトラブルの前に行動をしていた事が繰り返し記述される。私が重視したのはより古典的な方である。1906年のサンフランシスコ大地震を前後する震災相場を扱った方であり、その着眼点は日本の事情と親和性があると考えていたためである。日本にも関東大震災を経験した名相場師の詳細な記録があるが、米国のような体系的で具体性に富んだ記録に匹敵する詳細な文献に私は出会えていない。
私は正直に言って、彼が当時何を見ていたのかを高度に追体験した。強い戦慄があった。彼が書き残した原理に基づいた場帳をつけていたのみならず、扱った銘柄業種まで、彼と同じ鉄道株だったのだから。彼の場合は暴落を見据えた空売り、私の場合は暴落寸前までの空買いの違いこそあったが、同様な状況下において自ずと鉄道株に足が向いて集中的に観察していたことからも、本質の普遍を思う。
その彼とは誰か。気になる方は独力でお調べを。傷つきながらも素晴らしい研究ができることだろう。もし、そうした体系的研究や応用に素晴らしさを見いだせなかったらば、人間の本質が無制限で開放される相場という鉄火場には絶対近づいてはいけない。
尤も、我々がゆく未来というのはつねに無制限であり、将来起こりうることと人間の本質とは、これほどまで親和性があると感じている。それは人類の進歩という点において、とても重度の探求対象かと私は思っている。かりにそれが誤りだとしても、この需要と供給という人間社会のシンプルな仕組みが、近未来に起こりうる事象に対して無関係で居られない現実を、無視することはできない。
最後に。
人は地震に際して、その揺れそのものでは命を落とすことはない。全て、居場所が原因だ。
だから、より正確な地震予知の技術が成立して欲しいと私は心から真剣に願っている。おそらく秒は無理でも分単位まで発生予報を絞り込める時代が来ると私は想像している。なぜならば、私の体系的地震雲観測においては、マグニチュード5以上を予測しうる雲を観測した時、発生予報期間を2時間後〜3ヶ月という範囲とした場合の地震発生確率は今のところ100%である。一例になるが、下のmixi日記は2012年12月の大型余震を3週間前に約1ヶ月後と予報してその範囲内で発生したときに記録したもの。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1883826628&owner_id=1770215
この手法では、発生方向の特定概念あたりまでの萌芽を見た。まして世の中には、大気成分の変化を捉える手法などが勃興している。私はその開示されていたデータを見た限りにおいては、
三角測量によって震源方位が高精度に特定できるのではないか、と感じたほどだった。ちなみに私がプライマリー波、セカンダリー波を見出している時間尺度が、地震計のような秒速記録ではなく日を隔てた日速記録であることにお気づき願いたい(文字と画像合成は私。この開示元は残念なことに茶化しが多かったのか非公開になった)。NASAでさえ似たような研究成果を出しはじめているという事を聞いたのは、この直後だった。
が、本当に意味のある予知体系が世の中で生まれるには、しばらくはまだ無理だろうという想像もつく。人は、本当に行動すべき第一次情報を目にした時、行動に移れるかどうかは別だ。予知最大の問題は、情報を聞いた人間そのものにかかってくる。
なにせ、原発が吹き飛んで何が起きるか分からないというのに、東京では多くの人が通勤したのだ!!私には信じられない光景だった。私は以前ドイツのフランクフルト市が作成したメルトダウン時の最悪想定避難訓練映像を見たことがあった。だけじゃない。私の幼少期はチェルノブイリ事故の時代である。誰に何といわれようが放射能がいかに扱いの難しいものか刷り込まれている。福一原発が吹き飛んだ映像を見た瞬間それらを鮮明に思い出し、食料確保に走って雨戸を閉めた。それくらい全力で警戒したのに、出社はするわ花見は計画するわと、大勢の流れというのは恐怖以外の何物でもなかった。あの事故が東京にとって本当に最悪な事態となった場合、1,300万人の都民がパニックと化し駅で圧死する可能性があったのに、多くの人はマージンよりも日常の繰り返しを選んだのである。
かくの如く、現実の認識、伝達の齟齬、決断、これらを取り巻く人間の感情が創りだす障壁はあまりにも高い。その処理は、膨大な訓練をしてなお予断の許さない集中の連続である。ところが実際は、共有とか絆といった体裁の良い言葉と一緒に発達したSNSは、デマとゴシップの拡散を繰り返している。残念でならない。激甚災害時にtwitterが使えるかどうかよく言われるが、経験者として断言しよう。使えない。
私はあの震災相場に入る週明け月曜日の寄付き前までに、いつもはよく返答をくれたtwitterの東証広報アカウントへ質問した。昔の撃柝時代のように総解け合い(災害や動乱に行われた信用建玉の強制決済処置。226事件での相場が有名。)は予定されているか、と。私は至極真剣だったが、案の定全く答えてもらえなかった。なにせ千年に一度の大地震である。万一突飛な特例が挟まれた場合、想定外の戦術を考慮する必要があった。が、「予定されていない」とだけ返せば良いだけの事だったのに、広報はだんまりを決め込んでいた。東証だけじゃない、平時はさんざ買い煽りを撒き散らしていた金融情報サイトのなんと静かだったことか。投機スタンスではなく投資スタンスにとってはこの上ない買い場であったのだから、ファンダメンタルが最良の企業一覧くらいズラーッと並べときゃ良かったのに、土曜日も、日曜日も、そして月曜日も、みんなみんなダンマリだったのである。有事に際して情報とはそんなもんなのだ。そして3月14日月曜日、震災相場は容赦なく大半がストップ安で始まったのである。
かくて現実は人間の感情から独立して進行する。
人は、平等に示されている現実から目をそらし、情報共有と感情共有のなかで右往左往と愚かに生きるべきではない。個人が有事に臨んでできることは、自分がすべき任務の範囲に集中することつまり、自分自身が決断することなのだ。